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日曜日の沖縄追想

日本はいつから寒冷地になったのでしょうか。
余りの寒さで手が動きません。
このさむさももしかして昨年3月の地震とか原発爆発による影響なんでしょうかねえ。

追想

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CanonEOS7D+EF-S17-55mm F2.8 IS USM ProgramAE(JPEG圧縮)

さて今回は前回の続きで首里城前編であります。

丁度中ではテンペスト映画版にちなんで展示がされてましたが、個人的には「尚寧王と薩摩による武力侵略」の辺りをもっと掘り下げて展示してほしかったなあと思うところです。
日中外交に翻弄されて琉球王朝が衰退する端緒となった辺りですし。

この日はあいにくの曇り時々雨でしたが、沖縄の冬はこういうものなので、また一興というところでしょう。
日本軍がここを拠点にしなければ文化財も消失しなかったのにねえ。

最近読んでいる「昭和16年夏の敗戦」を思い出すにつけ、組織人が組織防衛に走って無責任状態になるとロクなことにならないなあと思うところですよ。
ドイツもそうですが、負けに不思議の負けなし、とはよく言ったものです。
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夏草や兵どもが夢の跡・・・

お疲れさまです。
薩摩の武力侵攻と殖民地化の流れについては、「浦添ようどれ」というローカル映画でそのあらましを観たことがあります。

その内容は様々な書物、メディアで取り上げられていますから、ここでは触れる必要もないでしょうが、まさにその薩摩の人々が、のちに明治の元勲となって、征韓論とか、台湾出兵とか、藩政時代に琉球を殖民地支配したノウハウを活かして大日本帝国の経済圏を拡大していって、つまるところ先行する欧米の帝国主義国家と衝突し、自滅し、歴史を総括せざるを得なかった、というのも何たる歴史の皮肉かと思いました。

しかし、沖縄は大日本帝国の始まりの明治維新でも、その終焉の太平洋戦争でも、いつも多大な犠牲を払わされ、同じ日本国民として、いつも胸が痛むのですよ。

首里城の要塞については、当時、沖縄の人々には、「日本軍は首里城を枕に討死にしても徹底抗戦し、琉球を守る」という認識が有ったようで、これに反し、篭城戦に持ち込まず、ゲリラ戦を前提とした南部への転戦があの未曾有の民間人巻き添えによる大量犠牲者を出したと思うと、いつも守禮の門下の地下壕跡に立つ時、とても悲しい気持ちになってしまいますね。

Re: 夏草や兵どもが夢の跡・・・

Charley944さん
お疲れです。

あ、そう言う見方もありますね>薩摩型侵略成功モデルの拡大再生産
おまけに自滅しても反省しないし似たようなことやってますからねえ。
沖縄は地理的にもしわ寄せが来やすいって話もどこかで読んだ記憶はあります。
最前線であり捨て石という状況。

沖縄県民と日本軍人の間の認識のずれというものは今も尾を引いていると思いますし、そもそもその程度の位置づけにしか沖縄を置かなかった当時の日本ってどうなんでしょうね。

それ故に沖縄の人が今も観光客と定住者で顔色を変えるのも無理からぬこととは思うのですが、今日曜九時から放送している「運命の人」の影響で変なことにならなければ良いなあとも思うのですよ。
「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を読んだ身としては、一介の(以下省略)
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